STORY 1
1889(明治22)年ころ、英国人ジョン・クリフォード・ウィルキンソンは、狩猟に行った宝塚の山中で炭酸鉱泉を発見しました。
この鉱泉水をイギリスに送り分析したところ、世界の名鉱泉と肩を並べる良質な食卓用ミネラルウォーターとの結果を得られました。そこでウィルキンソンは生国から最新の設備を取り寄せ、1890(明治23)年に「TAKARADZUKA MINERAL WATER(宝塚ミネラルウォーター)」の名で販売を開始しました。
その後1904(明治37)年、「ウヰルキンソン タンサン」と名を変え、国内はもとより海外27カ所で販売されるようになります。
ヨーロッパでは良質の飲料水が得にくいことから、瓶詰めのミネラルウォーターが食卓水として珍重されていました。
明治政府も海外からの賓客をもてなすため、国産の良質な食卓水を求めていました塩瀬町生瀬で採取され、ウィルキンソンが製造販売を始めた「タンサン」は、政府の要望を満たす製品だったのです。
発泡性の炭酸水は、海外では「ソーダ」と呼ばれています。これが日本で「タンサン」と呼ばれるのは、ウィルキンソンの商標が一般化したものです。
「タンサン」の名は、ウィルキンソンが当時の英国領事に相談して決めたといわれています。領事は神戸に長く駐在し、日本の習慣にも明るかった人物。タンサンというネーミングは広く親しまれるようになり、いつの間にか一般名詞のように使われるようになりました。